2023年11月に佳子さまが日本との外交関係樹立から150年の節目を迎えた南米のペルーを訪問していたニュースは大きく報じられました。実際にボルアルテリア大統領を表敬訪問したことや150周年記念式典に臨み、両国の友好親善関係がこの先も末永く続くように願うお言葉を述べるなどして親善に努められていた様子は多くの人がメディアを通して耳にしたことかと思います。
今回はそのような一つの行動が大きく報じられる天皇家の方の一人である美智子さまについて、幼少期からの経歴についてみていきたいと思います。
美智子さまの幼少期について
まずは美智子さまの生まれから幼少期について経歴をみていきたいと思います。美智子さまは1934年10月20日生まれで、現在89歳です。美智子さま 実家は現在の東京都文京区のあたりであり、日清製粉グループ会長の正田英三郎と正田富美夫妻の長女として誕生しました。その後は大和郷幼稚園、雙葉学園雙葉小学校付属幼稚園、雙葉学園雙葉小学校へと進みます。在学中には疎開のため、神奈川県藤沢市や群馬県、長野県軽井沢氏の学校を転々としながら終戦を迎えたようです。小学校の頃の性格について当時の担任曰く、真面目でありながらも活発で勝ち気な性格であったといわれています。
美智子さまのご兄弟について
美智子さまのご兄弟には兄である正田巌、妹である正田恵美子、弟である正田修がいます。兄である正田巌は日本銀行理事や預金保険機構の理事を務めるなどしておりました。妹である正田恵美子 現在は昭和電工の社長である安西正夫の長男である安西孝之と結婚をして暮らしているようです。弟である正田修は大学卒業後、日清製粉やグループ本社の社長を2004年まで務めました。
美智子さまの青年期から成人期について
雙葉小学校を卒業後は聖心女子学院中等科へ入学し、そのまま聖心女子学院高等科まで進み卒業します。中学・高校時代の成績は学年トップクラスであり、周囲からは天然パーマであることからテンプルちゃんやミッチー、ミチと呼ばれていたということです。
高校を卒業後は聖心女子大学文学部外国語外国文学科に進み、プレジデントとして活動しており卒業式では総代として答辞を読むほどでした。またクラブ活動では合唱部・英語劇クラブ・テニス部に所属していました。
明仁さまとの出会い
大学を卒業後に参加した長野県軽井沢で開かれたテニストーナメントの大会で二人は出会います。この出会いはテニスコートの誓いになぞらえて、「テニスコートの出会い」として知られました。また、その後もテニスを通じて交際を深めたといわています。
そして1958年11月27日に皇太子明仁親王と正田美智子の結婚が皇室会議において満場一致で可決されました。同日に行われた、正田英三郎・富美子夫妻の記者会見では、明仁親王の魅力について問われた際に「とてもご誠実で、ご立派で、心からご信頼申し上げ、ご尊敬申し上げて行かれる方だというところに魅力を感じ致しました。」と回答し、この言葉は当時の流行語にもなりました。
結婚のその後について
皇室会議にて満場一致で結婚が可決されたものの、皇太子妃は皇族か五摂家といった特定の旧華族に属する女性から選ばれるという習わしがあったため少なからずこの結婚は旧皇族や旧家族らの反発にあいました。
しかしながら、そのような困難も乗り越えその後は皇太子妃として皇后として、そして上皇后として日本のために、国民のために精力的に動かれてまいりました。
最後に
今回は美智子さまのこれまでの経歴について、幼少期を中心にみていきました。結婚に対する反発などの苦難もありながら持ち前のまじめで勝ち気な性格で乗り越えてきたと思われます。皇太子妃や皇后としてどのような活動をされてきたか、詳細に知りたいと感じた方はぜひチェックしてみてください。